2018年9月 3日 (月)

アンネの日記

2018年9月3日

よく図書館に行き、本を手に取ってみるが このアンネの日記は何度手に取ったかわからない。 只読んではいなかった。
昔から話題になっているし、およそあらすじも知っていた。でもしっかり読んでみようと借りて読んだ。
第二次世界大戦中、ユダヤ人迫害を逃れて、隠れ家生活の中での記録である。
アンネの日記は、最初は 抜粋して子供向けに出版された。
アンネたちが連行されて50年の節目に この完全版(600ページ)が刊行されて、日記のすべてが記録されている。
アンネは、フランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人の次女に生まれている。一家は迫害を逃れ オランダのアムステルダムに 移住し隠れ家生活を2年1ヶ月。密告により連行されたアンネ一家は、アウシュビッツへと送られることになる。
隠れ家生活に入る年の13歳の誕生日に父親から日記帳をプレゼントされた。
アンネの父親は 小さな会社を経営し その事務所の奥で隠れ家生活をしていた。
2家族と一人の8人を事務所の人たちが支援していた。発覚したときは 支援員も処罰を受けることを承知で。
支援員の女性2人は 連行されなかったため、日記帳を隠し持ち のちに父親一人が生還し引き渡された。
日記の中で、アンネは「私の望みは死んでからも なお生き続けること!もしも、生きることが許されるなら きっと、世の中のため、人類のために働いてみせる」と書いている。
アンネは、13歳から15歳へと成長していく 思春期の夢と悩みを赤裸々に綴っている。
13歳とは思えないほどの洞察力と驚くべき表現力。周囲から子ども扱いされることを悔しがり、将来はジャーナリストか小説家になりたいと語っている。
アンネが生きていれば、きっと小説家になっていただろうし、文学界はどんな世界になったのだろうと 想像が広がる。
一昨年、日系イギリス人がノーベル文学賞を受賞したとき、ネットで少々まとめ買いをした本が まだ本棚にある。文学が理解できないのか なかなか読み進みが悪い。
やはり ノンフィクションが響きがよいようだ。
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2018年8月12日 (日)

隅田川とうろう流し

2018年8月11日

今年も隅田川とうろう流しが行われた。
とうろう流しは、東京大空襲など、隅田川で亡くなった多くの方々の霊を悼むために昭和21年に始まった。
堤防整備のため中止になった期間もあったが、平成17年から再度とうろう流しが復活した。
墨田区と台東区の境界線を流れている隅田川 両区の観光協会・連盟の共催で両岸でとうろう流しが行われる。
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台東区吾妻橋から。
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納涼船を川の中央に 船上からとうろう流しを見物する。
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とうろうはこの流し台をすべり川へ。
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風が強くとうろうは漂うことなく川下へと流れていく。
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墨田区側から対岸の浅草側 スカイツリーラインの橋脚もお化粧。8
スカイツリーも紫にお化粧。
現在は、慰霊というより 観光目的のイベント色が強く、見物も外国人が圧倒的で 前後左右に外国語が飛び交っている。時代の変化を感じる夜だった。

2018年8月 9日 (木)

誰も語らなかった。

2018年8月9日

今日は、長崎の原爆記念日と朝からテレビが伝えている。

先日、友人と図書館で待ち合わせたので、本をあれこれ見ていたらこの本が目についた。

中国からの引揚者のことが、克明に描かれている。一気に読み終えて、私はしばらく放心状態になってしまった。「知らなかった」 これほどの体験と、苦しい思いをしながら、これまで誰も語ることがなかった。

私は戦後の辛い生活は体験しているので、いろいろな体験談を聞き、本も読んでいた。母からも、結婚後 姑からも話は聞いていた。。夫の一家も一応は 満州からの引揚者ではあるが、事情は異なっている。舅は、満州の横浜正金銀行に勤めていて、昭和18年に タイのバンコク支店に 支店長代理として転勤になったので、家族は日本に帰国したため、戦後の引揚者のような経験はない。只 舅はタイで終戦を迎えた 収容所に 2年近く収監されたため、姑は生活に困窮したと。

この本の著者は、引揚者で 当初から行動を共にしてきた 友人をモデルにその関係者や機関を詳しく取材して 本になったときは、モデル(ゆう子さん)は82歳で生涯を終えていた。

中国や韓国で日本兵による慰安婦問題で騒いでいるころ、著者は「日本人だって被害にあっているのに 誰も声を上げない」というとゆう子さんが「私が声を上げよう」と言って本になった。

著者は引揚時10歳でゆう子さんは17歳だったため、ゆう子さんがソ連兵の犠牲になった。両親は殺され 福岡に着いたときは、妊娠7ヶ月になっていて 優生保護法で早産処置をされたが、産声を聞いている。母性本能も働き、その苦悩や おぞましさの思いをつづっている。ゆう子さんは生涯独身で過ごし、中国に何度も行き、両親の痕跡を探したが 何もなく小石を持ち帰ったという。

戦争を体験した者にとって、戦後などない。人間が人間でなくなる、どんな無理も通る。それが戦争と。

若い世代の方に読んでいただきたい一冊です。

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2018年8月 5日 (日)

鉢形城跡

2018年8月4日

この日は、寄居玉淀水天宮祭が 荒川の玉淀河原で 舟山車と花火大会が行われるため、早めに行き、鉢形城跡をゆっくり見学できた。
鉢形城は、埼玉県寄居町にある戦国時代の城跡である。
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鉢形城は、深沢川が 荒川と合流する付近の 断崖上に立地し、平地部に曲輪が連なる連郭式の 構造となっている。
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初めて築城したのは、1473年 上杉の家臣である 長尾景春と伝えられている。
1546年 北条氏3代氏康が、川越戦に勝利 覇権を確立し、四男氏邦が入城した。
以後、鉢形城は 北関東支配の拠点となり、攻防の場ともなる。武田信玄や 上杉謙信の攻撃を受けている。
兄に氏政、弟に上杉謙信の養子となった景虎がいる。
1590年 秀吉による小田原征伐が始まり、鉢形城は連合軍(35.000)に包囲され1ヶ月の籠城戦後、城兵の助命を条件に開城した。
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地形断面図 手前は荒川。
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石垣を配置した土塁。
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土塁。
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笹曲輪 その奥に本曲輪。
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広大な外曲輪。周囲には桜が植えられている。
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歴史館へと続く。
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深沢川(ふかさわがわ)にかかる橋。
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搦め手橋の手前にある史跡説明。
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搦め手橋。下に深沢川が流れている。
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深沢川は急峻で 欄干からは見えない。
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荒川にかかる正喜橋(しょうきはし)。
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正喜橋。
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荒川の断崖。この上に本丸跡がある。
開城後、氏邦は 前田利家の取り成しで、命は助けられ剃髪し利家に預けられ、金沢で暮らし 57歳で病没した。
正室の大福御前は落城の際、自害したともいわれている。寄居の正龍寺に「大福御前自刀の碑」が建っているとか。

2018年7月23日 (月)

足立の花火

2018年7月21日

 東京の 夏の花火シーズンのトップを飾る 「足立の花火」は40回目となる。
花火撮影が苦手な私が、カメラと三脚を持って 早めにと思って出かけた。
この辺と思う場所は すでに 場所取りシートでなくなっている。
50cmほどの隙間に 三脚を立てて座り 傘を差して4時間 暑さに耐えて
ビデオで撮影して 抜き出したものです。
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他にナイアガラが とてもきれいで ズームに合わせて撮ったつもりが、
録画ボタンを押していなかった。 一番撮りたかったのに、悔しくて
情けなくて 涙が出そうになった。 どうしてこうなのかな~。
来年は どうなることやら。

2018年7月17日 (火)

夏の涼 風鈴

 2018年7月16日



 暑い日が続く今日この頃、西新井大師の境内で風鈴市が開催されている。浴衣姿で出かけてみた。
風鈴には苦い思い出がある。1昨年に川崎大師の風鈴市に行き、川崎大師祈願済みの だるま風鈴をお守り代わりに買った。帰宅して取り付けるとき、あと一結びするとき落としてしまい、眺めることなく 粉々になってしまった。今回は失敗しない。

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暑い日差しの中、涼やかな音色があちこちから聞こえてきて「来てよかった」と思った。


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暑さの精か人出はまばら。


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南部風鈴を買い、部屋に吊るしてエアコンと扇風機をかけ、その風でチリンチリンと涼やかな音色を奏でている。なんとも気分がいい。

2018年7月15日 (日)

生前整理が進まない。

2018年7月15日 



ブログを中断してからずいぶん月日が経ってしまった。

今 考えると妹の病気で私自身の心境に大きな変化があったためと思う。
妹とは生活や健康について 常に確認や連絡をとりあっている。ある日、妹から血尿が多量にあったと聞いたときは めまいを覚えるほどびっくりした。痛みはないというと頭をよぎるのは 「ガン」妹は病院へ 私はケイタイを手から離さず連絡を待っている。診察を受けた結果は、「膀胱には異常はないが、腎臓に異常がみられるが MRI検査を行って確定する。おそらく左腎臓の手術をすることになる」 と言ったとのこと。二人でガンと決めてしまい、私は妹が先に死ぬとは考えたこともなく、私が入院した時はお願いね とか死んだら後整理をお願いとか身勝手なことを言っていただけに、体は震え 何も手に着かずウロウロしていた。

両親が 胃がんで亡くなったので、妹も私も 胃カメラを毎年撮って安心していた。それから妹は 胸の痛みや息苦しさを訴えるようになり、下痢も続いた。鬱状態になっていると思い 気晴らしに外食に誘ったりしたけど、あまり効果はなかった。発症から MRIの結果が出るまで1ヶ月近くかかりその結果は 「ガンではない」 でも出血の原因は 分からないので様子をみるという。
それから数日後 「胸の痛みは?」と聞くとないというし、下痢もないという。多少の不安を残しながらも 現在も安定している。
人を 頼ってはいけないということを イヤでも思い知った騒動だった。
それから 生前整理が始まったのです。身の回りを 小さくすること。先ずは アルバムの整理 昔から旅行で撮り貯めた 写真のアルバムが棚にずらりとあるのを 何とかしなくてはと、取り出して 主な写真をスキャンで パソコンに取り込んだ。棚は粗大ごみに出して という風に進めている。
10年近く 開けていない着物たんすには 嫁に着つけて一緒に初詣をした着物が 入っている。外国で暮らす嫁に 「私が死んだら捨てられるので思い出に持ってて」と送った。 その時、区の広報に 昔の着物を着ましょうと、着付け教室が 期間限定で募集していたので 応募し 何回か通ったら、あやふやだった帯結びを  思い出したので時々着ている。すると 帯や小物を買っているから あまり物が減っていない。難しいですね。

2017年6月25日 (日)

大正琴コンサート

6月23日

 綾瀬福祉園でのボランティア仲間の友人が大正琴を長く続けている。
月1回程度で施設、老人ホーム、娯楽施設など依頼を受けてボランティアで
訪問し、演奏している。今日は綾瀬福祉園でのコンサートは初めてとのこと。
私も、撮影許可をいただき撮影するが、施設利用者は、知的障害者のため
一定の場所に留まることができない。利用者がカメラに入った場合
削除しなければならないことが条件で許された。撮影場所も所定の位置から
動くことができない。コンサート中泣き声や奇声などが入交り、
撮影も何度もカメラを伏せるなど緊張の連続だったが、削除することなく
撮れたことにホッとしている。
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大正琴 琴生会エバグリーンの皆さん
前列中央が師範。前列右側が友人。
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控室で打ち合わせ中。
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リクエスト曲童謡を演奏する。
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奥に司会者。
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歌い手さんに誘導されて利用者の皆さんも歌い
楽しいひとときを過ごす。
エバグリーンとは、いつまでも若々しくとの意味で普段の練習に
励んでいるという。10年以上のベテランばかりで、演奏も一つの
音色にまとまり、とても幸せな気分になれるひとときだった。

2017年4月 3日 (月)

横須賀散歩と軍港めぐり

4月2日

私の尊敬する恩師(恩人)の一人、H氏を訪ねて横須賀に行く。
15.6年ぶりにお会いして、信じられないほどの感動だった。
H氏に出会わなかったら私の人生も変わっていたかも知れないと常々思っていたから・・・。
H氏は、M市にある病院の総婦長(看護部長)で看護師、学生、介護福祉士、介護士の
300人ほどをまとめるトップの人だった。私はまだ経験も浅い無資格の介護助手で
見よう見真似で働いていた。それまでの私は、友人が経営するブティックの現場
(裁断と縫製指導)を担当していたが、バブル期に倒産してから、意を決して職業を
替えて、努力はすれども無資格は大変心細く悩む日が続いていた。
駅から病院までの送迎バスの中で隣り合わせになることが多く、相談もするようになった。
「資格取得に挑戦しなさい」とアドバイスされ、病棟看護師長にも協力するようにと。
私も努力して介護福祉士、ケアマネージャーと資格を取得できた。看護部長も師長も
大変喜んでくれていたが、その後定年退職されたので、それ以来の再会となった。
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H氏の案内で市内散策。
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どぶ板通り。
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どぶ板商店街。
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三笠公園を散策。
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記念艦「みかさ」を見学。みかさは日露戦争で活躍した代表的な軍艦で、
大正15年よりここに保存されている。
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「みかさ」の由来の説明。
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東郷平八郎像。
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軍港めぐり。
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乗船を待つ観光客。
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案内アナウンサー。
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操縦士。
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乗り込む乗客。
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「174きりしま」ミサイル護衛艦。と「6102あすか」試験艦。
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「5106しょうなん」海洋観測艦。
「5104わかさ」海洋観測艦。
「5105にちなん」海洋観測艦。
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「303はちじょう」掃海艦。
「606はつしま」掃海艦。
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「153ゆうぎり」護衛艦。
「171はたかぜ」ミサイル護衛艦。
「423ときわ」補給艦。
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住友造船所。
アナウンサーの案内に右に左に移動が忙しくもう少しゆっくり
見たい未練の残る軍港めぐりだった。

2017年3月28日 (火)

読書・90歳 何がめでたい

  3月27日
 先日、NHKの夜のニュースでこの本がよく売れていると
内容も兼ねて紹介していた。書店で見かけてはいたが、
買おうとは思わなかったけれども楽しそうなので買ってみた。
佐藤愛子のエッセイは有名だけれども、初めて読むことになった。
笑いながら本を読むのは過去にあったかしら?と思うほど
楽しくあっと言う間に読んでしまった。

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自分で考えているようなことを、佐藤愛子が代弁してくれている
ような気持になる。ちょっとさわりを述べてみると、このような具合
になっている。
「若者は、夢と未来に向かって前進する。
老人の前進は死に向かう。私の夢はぽっくり死ぬことである。
私の夢はとうとうここまで来てしまった」など。
佐藤愛子も有名だけれども、兄のサトウハチロウ(母親違い)も
詩人として歌などを残している。
佐藤愛子は今年93歳になるといいまだまだ頑張るそうで
元気になれる本を読んだ気になった。

«水引工芸を体験

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