2017年2月20日 (月)

牛天神紅梅まつり

2月19日

牛天神で紅梅まつりが行われていた。
牛天神北野神社は春日通りから少し入ったところに、1184年
源頼朝の夢のお告げに、牛に乗った菅原道真が現れ、その
ご神託により牛を守護神として頼朝によって創建された。
2
北野神社鳥居
1
牛天神こと、北野神社は菅原道真公が祀られている
5
ねがい牛 撫でると願いが叶うと言われている
NHk土曜ドラマ忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣の
ヒロイン「きよ」がこのねがい牛をさすりひたすら
願をかける様子があった
12
左右の牛
かって牛天神下には堀部安兵衛が通った「堀内道場」があった
きよの思い人 磯貝十郎左衛門もその道場で剣術を磨いていた
13
頼朝がこの石に腰を下ろして夢を見たとあった
4
女性の宮司の挨拶と二人の子息を紹介
3
神社の庭には紅梅が多かった
6
野点が行われてお茶とお菓子がふるまわれた
7
勇壮な奉納太鼓が行われて
湯島天神白梅太鼓のみなさん
8
若い女性とは思えないほど迫力のある力強い太鼓
9
男性一人だったが凄い迫力
10
終わって挨拶するメンバー、男性一人女性四人
11
御朱印をいただく列が長々と続いている
甘酒を頂きながら隣の夫人が、毎月お詣りしている
けど、こんなに多くの人の列は初めてと言っていた
私は御朱印は頂かずに帰った。

2017年1月27日 (金)

ボランティアに参加する

1月26日
最近はずっと図書館に入り浸っていると、会話がなくなってしまった。26日はボランティアで障害者福祉施設に行く日で、初めてなのでちょっとドキドキしながら待ってると、もう一人来られたので気持ちが楽になり話してみると、その方も初めてという。手芸品の仕上げを手伝う簡単な仕事だった。
その後、レストランで食事をしながら2時間ぐらいお話しをしてすっかり意気投合し、何よりも何日ぶりでこんなに話ができたかと思うだけでも楽しかった。この方は、ご主人と紳士服の仕立てを40年も続けていたけど、亡くなられてボランティアを考えたというプロの方だった。
図書館の本も、借りて帰ることができない本は通って読むことになり、ボランティア以外の日を毎日図書館に行っている。区の中央図書館には、読みたい本が揃っていて楽しいけど誰とも話さず一日中読書もどうかなと思いながらも止められない。もう少しコントロールできるといいなと思う。

2017年1月14日 (土)

読書・東京裁判(極東国際軍事裁判)

1月13日
図書館に返却に行くと、今日は借りないと思いながら一回りし「東京裁判」の分厚い本の前で考えてしまう。返却日まで読むことができるかなと。関心があるのは東条英機の弁護人清瀬一郎と言う人である。十数年前、私は某病院の個室担当で働いていたとき、「清瀬」という病室に見舞客が頻繁に出入りしていて、客が多い時は子息が廊下を行き来していたため、立ち話をする機会が多かった。その話の中で、祖父が清瀬一郎で東京裁判で弁護をしたけれど、負けてとても生活に困ったと聞いていたのでこの際、読もうと思って借りることにした。
Img_1212
アメリカ人ジャーナリスト(アーノルド・ブラックマン)が四半世紀をかけて資料を収集した事実を書いている。ブラックマンは1946年の東京裁判の取材のため来日。1948年裁判終了まで滞在した。清瀬一郎の弁護とその背景をまとめてみた。
裁判は、1946年5月にオーストラリアのウェップ裁判長で始まった。
清瀬は冒頭に 正義と公平との要求のため、ウェップがこの裁判をするには適当ではない。ポツダム宣言の趣旨を守って裁判をするにはウェップは適当ではないと裁判長の交代を要求し、ニュージーランド判事が代理で再開し、全員は無罪であると主張した。
清瀬: ドイツは無条件降伏したが、日本はポツダム宣言の降伏受諾をしたから有条件降伏だ。日本はポツダム条項の一つである戦争犯罪人の罪とは、世界共通の言葉「戦争犯罪」だけが課せられるもの。「平和に対する罪」や「人道に対する罪」について告発することは、戦争犯罪という範囲を超越する。国際法にはこのような犯罪は存在しない。ポツダム宣言は1941年~1945年までの戦争を凍結させるもので、それとは関係のない諸事件を起訴状に引用するなど断じて考えられない。起訴状の却下を要求する。
裁判は、検察側の主張や証人発言が多く、被告の弁護を却下するところが多かった。アメリカ人弁護人(カニンガム)はウェップ裁判長と幾度となく口論していた。カニンガムはアメリカ法律家協会の会議に出席し、「東京裁判の主要な悪弊」という文書を提出した。カニンガムが告発した事項を少し拾ってみる。
〇この裁判の目的は、報復であり、弁明であり、宣伝であった。
〇ロシアを含む起訴諸国は、日本に対して告発した犯罪から自国が免れていることを示せなかった。
〇まさしく法廷にロシア判検事がいるために、この裁判は矛盾したものとなった。
〇極東憲章は、明らかに事後法であった。
〇被告は、公正な裁判を与えられなかった。
〇反対尋問は、証拠の抑圧というに等しいほど制限されていた。
〇検察側証人は優遇され、弁護側証人は冷遇されていた。
〇判事たちは裁判中、何か月も欠席した。
〇侵略戦争は決して十分に定義されていたわけでもなく、処罰可能なものとされていたわけでもない。侵略戦争が犯罪であるならば、なぜ諸国は不侵略条約を作らなかったのであろうか。国家行動に対する個人責任は矛盾している。裁判所がこのような法律上の曲芸に魅せられるとは思わないと述べている。
裁判長は同僚判事たちにアメリカ法律協会は、カニンガム氏が法廷侮辱罪を犯したと考えれば、だれも耳を貸さないであろうと確信する。そしてカニンガムを「今後の審理から排除する」と宣言した。
アメリカ弁護人の一人が、清瀬弁護人は世界最高の法律家の一人と絶賛していたが、弁護をことごとく却下されて裁判は終了した。
死刑を宣告された7人:東条英機、土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章。
東京裁判は、勝者が敗者を一方的に断罪した報復的な政治裁判だった。

2017年1月 7日 (土)

93歳でパソコン(mac)を操作する人

1月6日

93歳の元担当していた利用者(A.H氏)を訪問。
在職中は訪問も数分で退出していたが、今日はゆっくりと
お話ができた。
Img_1207
A.H氏は富岡製糸場と関係が深いとは聞いていたが、
そのことについても詳しく聞くことができた。
今は、世界遺産となった富岡製糸場の親会社片倉工業の
元幹部社員だった。当時の富岡製糸場を知るただ一人の
生き証人である。操業停止を決定したメンバーの一人でもあった。
昭和30年代にコンピューターをIBMから導入し各会社へ広め
指導をしたという、草分け的なシステムエンジニアだった。
今でもパソコン操作は日常生活に欠かせないという。例えば
通院前の一週間朝・夕の血圧の記録をグラフにして受診日に
提示する 日常の買い物はネット通販でとか家計簿や
確定申告など金銭管理もしっかりできる。
数年前は、軽い脳梗塞を起こしたとき、ネットで症状を確認し
緊急の通報ボタンを押し、救急搬送されて大事にはならず
後遺症も残らなかった。
話も理路整然として記憶力も抜群で、見た目には介護保険を
利用するに当たらないように思えて、当初はこのような人が
もう何人かいたらさぞケアマネも楽かと思っていた。ところが
2年前、歩行が弱いのでリハビリにデイサービスを利用していたとき
体調が悪化し救急搬送されたと連絡があり、病院に行くと
敗血症と聞き唖然とした。(敗血症とは菌が血管に入り臓器不全を
起こし一夜にして死に至る病気)一人暮らしで家族とは疎遠になっている。
私は、もう死後の対応を考えていて 後見人がいないため
家族への連絡、決定者、保証人などについて所長と包括支援、
区役所を駆け回りながら情報を集め、死亡通知が来ると思っていたら
来なかった。様子を見に行くと話ができる状態に回復していたが
でも在宅生活は無理と思い、ホームや長期療養型などの情報収集をしている。
さらに、数日後はリハビリをしているという報告を受け、車いす生活かもと
福祉用具へ手配していると、1ヶ月半で歩いて退院したと報告を受けた。
あ~この空回りは何だったのかと、ひどい疲れを覚えたことを話したら
「もう今は万全な体制をとっているから大丈夫です」といっていた。
初動対応が早かったし、処置も的確だったことが命を救ったと思っている。
今月は介護保険の更新があるというので、調査の折「自転車に乗って
いるなど言わないでね」と助言して退出した。
Img_1206
今年の初日の出を写真撮影しデイサービスの壁に
掛けていると言っていた。

2017年1月 3日 (火)

読書・歴史を動かした女たち

1月3日

図書館で興味のある本を探すこと1時間ほどで

見つけた1冊を読んでみると、映画やドラマ、歴史本に

登場する人ばかりだった。ただ一人一人の背景と人生を

書いている。

Img_1203

「原始女性は太陽であった」という書き出しが面白い。

明治44年平塚らいてうが初の女性誌「青鞜」の創刊号に

掲げた一文である。「私どもは隠されてしまったわが太陽を

取り戻さねばならない」と宣言した。

天照大神は女神である。二・三世紀に実在した卑弥呼は中国の

史料に記録されている。八世紀ごろまでに登場する女性天皇も

多く、政治に関わる皇后も多かった。その後は男性社会となり

女性は支える側になる。文学面では名を残す人が多い。

以外なのが歌舞伎の創始者は出雲の「阿国(おくに)」女性だった。

江戸時代に男性だけが演じるようになる。

女性が演劇界に進出する道を開いたのが明治41年

帝国女優養成所を創設した川上貞奴だった。

明治になって女流小説家・歌人が続々登場し、岡本かの子は

あの岡本太郎の母親だった。ソ連に亡命した岡田嘉子は母親が

オランダ人との混血であったと述べている。33年ぶりに一時

帰国したときは70歳だったが気品のある美貌は記憶に残っている。

2017年1月 1日 (日)

一年の計は元旦にありと言うけど。

2017年元旦

好天に恵まれた朝、すぐいつもの公園に初日の出を見ようと
出かける。高台に行くとすでに沢山の人が詰めかけていて
30分ほどで「ワーツ」と歓声とともにきれいな初日を見ることが
できた。
Photo
池からもきれい。
1
根津神社に初詣
2
古社では東京十社の一社に数えられている。
1_2
現在の社殿は1706年の創建 国の重要文化財に
指定されている。
参拝を終え、今年の過ごし方を考えてみた。
1、当然ながら健康維持に努める。
①食事(野菜多め、間食・過食を避ける)
②運動(散歩、プールを継続)
2、ボランティア活動開始。
①昨年12月にボランティア登録済ませている。
②障害者、高齢者に関わる作業を施設見学。
3、学ぶ気持ち。
①広報チェックや学習センターで探し、興味のあることや
関心のある講座を申し込む。
並べてみるのは簡単だけど、実行はどうかはわからないが、
努力目標とするのにはいいのかな?と考えている。

2016年12月28日 (水)

冷蔵庫と食品ロス

12月28日

食品ロスとかは、テレビでよく報道されていても自分には関係ないと思っていた。
2.3日留守にして帰宅し、翌日に冷蔵庫の調子が悪いことに気がついた。
通電しているのに冷蔵していない。とっさに修理に電話し、診てもらい買い換えを考えようと思っていた。電話中にメーカー名と型番を聞かれ伝えていたが、翌日来てコンピューターの故障なのですでに注文したという。「診てもらうだけにしたかった」と言うと「キャンセルすると部品を買っていただくことになります」と脅し気味「じゃあ」ということでお願いすると夜になって「部品が手に入らない」と電話があってほっとする。
冷蔵庫の中身を全部処分することになり、物のない時代に育った世代にはイヤなことだった。卵など十数個を取り出しながら、ふと思い出すことがある。幼少のころ田舎に引っ越して、慣れない生活の中で母が寝込んでしまい、私は10円持って近所を周り卵1個分けて下さいと言っても分けてもらえなかった。今はこんなことをしていると思いながら、大きなゴミ袋をよろめきながら出した。
年末と重なり値段は高いし、配達は遅いしで10日ぶりに届き、やっと元の生活に戻ることができ、一人暮らしには不似合いな以前同様大きな冷蔵庫になった。

2016年12月20日 (火)

平戸・生月島・佐世保を歩く

12月16日

平戸島の歴史を辿り市街地を歩くと、小さな標識が
随所に立っている。オランダ・イギリス・中国と交易が
行われていた。江戸時代に長崎の出島に移転するまで
続いていた。
1
平戸ザビエル記念教会昭和6年に建設された。
2
フランシスコ・ザビエル像鹿児島に上陸した翌年
平戸で伝道。
3
手前が黒子島右がまだら島。
5
オランダ商館跡に復元されたもの。
4
平戸城昭和35年復元された。
12月17日生月島(いきつきじま)を観光。
生月島は隠れキリシタンが多く江戸時代になって
多くの殉教者を出した。
4_2
小さく見える島が、キリスト教の聖地となっている
中江の島ここで多くの信者が処刑された。
2_2
生月大橋手前にある碑は御製。
1_2
くじらの通り道であった生月島では捕鯨が盛んに
行われていた。
3_2
塩俵の断崖。
1_3
佐世保で途中下車し、海上自衛隊の基地を見学。
2_3
駅前の港五番街。
3_3
案内標識に沿って駅から20分ぐらい。
4_3
護衛艦くらまを見学。
6
広い甲板を撮る。
5_2
中に入ると二人の総理(野田・安倍)の写真が掛けていた。
自衛官とも話したり、記念写真を撮ったりと
楽しいひと時を過ごし、帰路に就く。

2016年12月18日 (日)

長崎旅行(ハウステンボス編)

12月15日

長崎は今回で4度目の旅行になった。4回とも
自分で払っていないことに気がついた。
1回目:中学生の頃の修学旅行で親持ち。
2回目:職員慰安旅行で積立金。
3回目:次男が誕生日記念とか言って払ってくれる。
4回目:カードのマイル交換で航空券を入手した。
3回目の時の息子のプレゼントは今考えると外国に行く
ということを考えていたのかナと思う。なぜならいつもは
ケーキぐらいしかなかったのに。
今回は今のハウステンボスと平戸島を歩くことにした。
空港より高速船でハウステンボスまで行く。
1
ハウステンボスまで50分。
Photo
ハーバーのそばの宿泊するウオーターマークホテル長崎
に荷物を預ける。
2
ドムトールン展望台一番高く約100mほど。
Photo_2
展望台よりの眺望。
11
ハウステンボス歌劇が上演されているミューズホールには
女性で超満員だった。
Photo_3
夜になると一斉にイルミネーションが輝き別世界になった。
ドムトールン塔から滝が流れるし、中を竜が駆け上がっていく。
9
アーケードには無数の傘と照明が揺れてきれいな音楽が
流れている(光のアンブレラストリート)。
6
アムステルダムホテルの前に設置された舞台では
仮面舞踏会。老いも若きも一緒にダンスし、
見ている人がないほど夢中になっている。
13
街並みをイルミネーションでライトアップ
14
宮殿の庭。
15
歩くと映像が変わる。リンクファンタジア
16
12
レインボーフラワーロード。
18
運河の水中にも、イルミネーションが橋も岸もすべて
輝いている。
写真を撮る側としては雨の中をあっちこっちと走り回り
大変疲れ、光に酔いしれる夜だった。

2016年12月12日 (月)

幕末を生きたお姫様たち

12月11日

政治の表舞台は昔から男性である。現在は女性も
大きく取り上げられ、小池百合子はその代表的存在
になっている。激動の幕末・明治をその妻たちは
どのように行動したのかと、いつも気になっていた。
この本は、とても読みたかった本だった。
Dsc04527
1、篤姫は本でも読み、ドラマでもその働きは周知している。
数人の生き方を取り上げているので少し記録してみたい。
徳川慶喜の妻美賀子の実家は五摂家の一つ一条家であるが
養女となって一橋家に嫁いだ。本当は婚約者の身代わり
(一条の娘は疱瘡で醜くなったため)だった。夫婦の不仲は
諸大名まで知れ渡り、半年ほどで自殺未遂をしている。
長きに渡り別居状態であった。
2、慶喜の母吉子の実家は有栖川宮(本人は登美宮と呼ばれた)
水戸藩主斉昭に嫁ぐ。斉昭の激しい性格を陰から支え
斉昭が蟄居処分となると水戸へ同行し、藩内の争いの融和を
図るなどかなり政治力を発揮したとあった。
明治になると東京で暮らし、90歳まで生きた。
3、桜田門外の変で暗殺された彦根藩主井伊直弼、以外にも
幕府の計らいで生きていることにして、子直憲に家督相続を認め
お家断絶を避けその後公式に直弼の喪が発表される。
その直憲に嫁いだのは有栖川宮熾仁の妹宣子(のぶこ)だった。
4、戊辰戦争で活躍した一人に照姫がいる。けが人を看護し多くの
女性が照姫様のために戦うと言うようになった。照姫はその後
剃髪し照桂院と称した。明治になって実家の飯野藩邸、旧会津藩
家老宅と転々とし東京で生活するようになる。
晩年は会津へ何度か赴いている。
5、伊達保子は実家仙台藩伊達家に生まれ仙台藩の分家
亘理伊達邦実に嫁いだ。幕末に仙台藩は奥羽越列藩同盟を
主導したため、減封されその分家の亘理伊達家も大きく減封されて
生活ができなくなって北海道の開拓を決意する。夫邦実は
すでに亡くなり保子は子邦茂・家臣一同と共に行き家臣たちの
面倒を見た。アイヌの人々とも仲よく付き合い、邦茂は政府から
高く評価される。大藩の姫から開拓民へと数奇な運命であった。

«イルミネーション