2018年11月14日 (水)

国分寺史跡を歩く

11月13日

11月4日に行われた国分寺まつりの時代行列を見学した時、国分寺の歴史について考えてしまった。これまで国分寺は 何度か訪れたことはあるが 只仕事に関係するスキルアップの講習などで 目的地の往復のみだった。改めて史跡を歩くことができた。
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奈良天平の時代聖武天皇の詔で、武蔵国分寺がこの地に建立され そして地名ともなった。武蔵国国府(府中市)に近く四神相応に基づきこの地が選ばれた。
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全国60余国の中で、その規模は最大級で当時の建物の大きさをうかがい知ることができる磁石が残っている。国分寺僧寺・尼寺が建立された。
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講堂跡
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中門・金堂跡。
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鐘楼跡。
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七重の塔は高さ60mあったという。
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七重の塔跡
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武蔵国分寺は、分倍河原の戦いで焼失し、その後新田義貞の寄進により再建された。
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武蔵国分寺仁王門
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徳川幕府(家光)にも保護され、14代家茂まで続いた。本堂は昭和に改築された。
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古代官道 東山道武蔵道は7世紀後半に国府と地方を結ぶ幹線道路の一つ。
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発見当時と現在の様子。
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道幅12mの東山道武蔵道を400mほど保存され、その広大さに当時の姿を実感できる。
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多摩図書館で休憩しながら。
道門で地図を立ち止まって見ていると、通りがかりの人が声をかけ道を教えてくれる。3人から親切にされて、かってなかった経験に心和む一日を過ごした。

2018年11月 5日 (月)

愛新覚羅浩展

2018年11月4日
現在、杉並区郷土博物館で愛新覚羅浩展が開催されている。
ここ 郷土博物館は嵯峨侯爵家の実家所在地だった。
昭和12年嵯峨侯爵家の長女 浩は、この地から 清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の弟溥傑に嫁いだ。
日中友好条約締結40周年の節目に開催する展覧会では、結婚を前にして 浩が不安と覚悟などの入り混じった心情を吐露した書簡の公開や、婚礼衣装や愛新覚羅家に関する資料の展示を通して、時代の荒波に翻弄されながら、戦中戦後の苦難を生き抜いた 浩の生涯を辿っている。


杉並区立郷土博物館


愛新覚羅浩展


愛新覚羅溥傑との結婚写真


婚礼衣装


長女慧生は19歳で不慮の死を遂げた
獄中生活を送っている父親に 会いたい一心と 日中の架け橋になりたい思いで 慧生は中国語を勉強し、周恩来首相に中国語で書いた手紙を出し、連絡が取れなかった父親との文通が認められるようになった。
そんな中、大学時代の学生が 天城山で無理心中したと推察され死を遂げる。のちに遺骨となって父親と対面した。
浩は中国で生涯を終えることになり、次女の嫮生は日本で暮らし健在である。慧生の遺骨も中国と日本に分散し、祖先である下関の中山神社に納められている。
映画にも「流転の王妃」や「天城山心中」で話題になり観た人も多かったと思う。
感慨深い時間を過ごした。

2018年11月 3日 (土)

60年ぶりの再会

11月2日

小中学校の同級生で 比較的近くに住んでいた男の子と 60年ぶりに再会した。
同窓会にも顔を出さない 消息不明とまで言われていた人だった。
心境の変化なのか 数十年ぶりに故郷に帰ったら同級生が 歓迎してくれてとても感激し、私の連絡先を聞いたとのことで、電話があった時は もうびっくりだった。会う約束をして妹と一緒に東京駅で会うことができた。一瞬言葉が出ず「お互いに年を取ったね」が挨拶だった。
いたずらっ子だった彼も立派な実業家となって栃木県内で活躍している。
同級生の消息を伝えたりで、喫茶店で3時間ぐらいおしゃべりし、不足分は来年関東圏内に住んでいる同級生が集まって話しましょうと別れた。何とも不思議な時間を過ごした気がした。
妹とデパートを歩くと、何年か前はファッションに時間を費やしたのに、今はデパ地下のみになっている。時代の変化なのか 歳の精なのか後者かも知れない。

2018年10月15日 (月)

佐原散策

2018年10月13日

テレビコマーシャルで、大同生命のロケ地になっている佐原に 関東3大祭りの一つ
佐原の大祭を見たいことと、佐原の町並みを散策。 
江戸時代に利根川舟運の要所となっていた香取市佐原を小江戸佐原ともいう。
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佐原は伊能忠敬の出身地でもある。2018年は、没後200年にあたり 
駅前に新しく忠敬像が建設された。
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佐原の大祭秋祭りは 諏訪神社の秋祭りである。
300年の伝統を誇り、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
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諏訪神社本殿。
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忠敬橋(ちゅうけいはし)小野川の中心部に位置している。
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伊能忠敬旧宅
伊能忠敬は、九十九里町に生まれ 17歳で佐原酒造業伊能家の養子となる。
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廃業寸前だった酒造業を盛り上げ、49歳で家督を譲り 江戸深川に移り住む。
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江戸時代に 利根川東遷事業により 舟運が盛んになると小野川沿いは 
物資の集散地として栄えた。
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小野川の景観。
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歴史的景観を残す町並みは、重要伝統的建造物保存地区として 選定されている。
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三菱銀行佐原旧本館(三菱館)大正3年建築。
平成元年、新店舗完成により旧本館を佐原市に寄贈。
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佐原の大祭は、二層構造の山車の上部に、歴史上の人物の大人形を飾り 
下段に佐原囃子を奏でながら 町内衆により曳きまわされる。
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小楠公(楠正行)他13台が連なっている。
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山車の前では 手古舞の流れをくむ手踊りが披露される。
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勇壮なのの字廻し 「のの字廻し」とは、重さ3.4トン、高さ7メートルにも及ぶ山車を
「の」の字を書くように回転させるもので豪快な曲曳き。最大の見せ場でもある。
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舞台では佐原囃子の演奏が披露される。
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佐原囃子と手踊りも披露される。
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夜の山車も見事とのこと。
関東3大山車祭りは佐原の大祭、川越氷川祭、常陸國総社宮大祭となっている。

2018年9月 3日 (月)

アンネの日記

2018年9月3日

よく図書館に行き、本を手に取ってみるが このアンネの日記は何度手に取ったかわからない。 只読んではいなかった。
昔から話題になっているし、およそあらすじも知っていた。でもしっかり読んでみようと借りて読んだ。
第二次世界大戦中、ユダヤ人迫害を逃れて、隠れ家生活の中での記録である。
アンネの日記は、最初は 抜粋して子供向けに出版された。
アンネたちが連行されて50年の節目に この完全版(600ページ)が刊行されて、日記のすべてが記録されている。
アンネは、フランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人の次女に生まれている。一家は迫害を逃れ オランダのアムステルダムに 移住し隠れ家生活を2年1ヶ月。密告により連行されたアンネ一家は、アウシュビッツへと送られることになる。
隠れ家生活に入る年の13歳の誕生日に父親から日記帳をプレゼントされた。
アンネの父親は 小さな会社を経営し その事務所の奥で隠れ家生活をしていた。
2家族と一人の8人を事務所の人たちが支援していた。発覚したときは 支援員も処罰を受けることを承知で。
支援員の女性2人は 連行されなかったため、日記帳を隠し持ち のちに父親一人が生還し引き渡された。
日記の中で、アンネは「私の望みは死んでからも なお生き続けること!もしも、生きることが許されるなら きっと、世の中のため、人類のために働いてみせる」と書いている。
アンネは、13歳から15歳へと成長していく 思春期の夢と悩みを赤裸々に綴っている。
13歳とは思えないほどの洞察力と驚くべき表現力。周囲から子ども扱いされることを悔しがり、将来はジャーナリストか小説家になりたいと語っている。
アンネが生きていれば、きっと小説家になっていただろうし、文学界はどんな世界になったのだろうと 想像が広がる。
一昨年、日系イギリス人がノーベル文学賞を受賞したとき、ネットで少々まとめ買いをした本が まだ本棚にある。文学が理解できないのか なかなか読み進みが悪い。
やはり ノンフィクションが響きがよいようだ。
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2018年8月12日 (日)

隅田川とうろう流し

2018年8月11日

今年も隅田川とうろう流しが行われた。
とうろう流しは、東京大空襲など、隅田川で亡くなった多くの方々の霊を悼むために昭和21年に始まった。
堤防整備のため中止になった期間もあったが、平成17年から再度とうろう流しが復活した。
墨田区と台東区の境界線を流れている隅田川 両区の観光協会・連盟の共催で両岸でとうろう流しが行われる。
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台東区吾妻橋から。
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納涼船を川の中央に 船上からとうろう流しを見物する。
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とうろうはこの流し台をすべり川へ。
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風が強くとうろうは漂うことなく川下へと流れていく。
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墨田区側から対岸の浅草側 スカイツリーラインの橋脚もお化粧。8
スカイツリーも紫にお化粧。
現在は、慰霊というより 観光目的のイベント色が強く、見物も外国人が圧倒的で 前後左右に外国語が飛び交っている。時代の変化を感じる夜だった。

2018年8月 9日 (木)

誰も語らなかった。

2018年8月9日

今日は、長崎の原爆記念日と朝からテレビが伝えている。

先日、友人と図書館で待ち合わせたので、本をあれこれ見ていたらこの本が目についた。

中国からの引揚者のことが、克明に描かれている。一気に読み終えて、私はしばらく放心状態になってしまった。「知らなかった」 これほどの体験と、苦しい思いをしながら、これまで誰も語ることがなかった。

私は戦後の辛い生活は体験しているので、いろいろな体験談を聞き、本も読んでいた。母からも、結婚後 姑からも話は聞いていた。。夫の一家も一応は 満州からの引揚者ではあるが、事情は異なっている。舅は、満州の横浜正金銀行に勤めていて、昭和18年に タイのバンコク支店に 支店長代理として転勤になったので、家族は日本に帰国したため、戦後の引揚者のような経験はない。只 舅はタイで終戦を迎えた 収容所に 2年近く収監されたため、姑は生活に困窮したと。

この本の著者は、引揚者で 当初から行動を共にしてきた 友人をモデルにその関係者や機関を詳しく取材して 本になったときは、モデル(ゆう子さん)は82歳で生涯を終えていた。

中国や韓国で日本兵による慰安婦問題で騒いでいるころ、著者は「日本人だって被害にあっているのに 誰も声を上げない」というとゆう子さんが「私が声を上げよう」と言って本になった。

著者は引揚時10歳でゆう子さんは17歳だったため、ゆう子さんがソ連兵の犠牲になった。両親は殺され 福岡に着いたときは、妊娠7ヶ月になっていて 優生保護法で早産処置をされたが、産声を聞いている。母性本能も働き、その苦悩や おぞましさの思いをつづっている。ゆう子さんは生涯独身で過ごし、中国に何度も行き、両親の痕跡を探したが 何もなく小石を持ち帰ったという。

戦争を体験した者にとって、戦後などない。人間が人間でなくなる、どんな無理も通る。それが戦争と。

若い世代の方に読んでいただきたい一冊です。

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2018年8月 5日 (日)

鉢形城跡

2018年8月4日

この日は、寄居玉淀水天宮祭が 荒川の玉淀河原で 舟山車と花火大会が行われるため、早めに行き、鉢形城跡をゆっくり見学できた。
鉢形城は、埼玉県寄居町にある戦国時代の城跡である。
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鉢形城は、深沢川が 荒川と合流する付近の 断崖上に立地し、平地部に曲輪が連なる連郭式の 構造となっている。
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初めて築城したのは、1473年 上杉の家臣である 長尾景春と伝えられている。
1546年 北条氏3代氏康が、川越戦に勝利 覇権を確立し、四男氏邦が入城した。
以後、鉢形城は 北関東支配の拠点となり、攻防の場ともなる。武田信玄や 上杉謙信の攻撃を受けている。
兄に氏政、弟に上杉謙信の養子となった景虎がいる。
1590年 秀吉による小田原征伐が始まり、鉢形城は連合軍(35.000)に包囲され1ヶ月の籠城戦後、城兵の助命を条件に開城した。
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地形断面図 手前は荒川。
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石垣を配置した土塁。
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土塁。
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笹曲輪 その奥に本曲輪。
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広大な外曲輪。周囲には桜が植えられている。
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歴史館へと続く。
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深沢川(ふかさわがわ)にかかる橋。
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搦め手橋の手前にある史跡説明。
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搦め手橋。下に深沢川が流れている。
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深沢川は急峻で 欄干からは見えない。
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荒川にかかる正喜橋(しょうきはし)。
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正喜橋。
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荒川の断崖。この上に本丸跡がある。
開城後、氏邦は 前田利家の取り成しで、命は助けられ剃髪し利家に預けられ、金沢で暮らし 57歳で病没した。
正室の大福御前は落城の際、自害したともいわれている。寄居の正龍寺に「大福御前自刀の碑」が建っているとか。

2018年7月23日 (月)

足立の花火

2018年7月21日

 東京の 夏の花火シーズンのトップを飾る 「足立の花火」は40回目となる。
花火撮影が苦手な私が、カメラと三脚を持って 早めにと思って出かけた。
この辺と思う場所は すでに 場所取りシートでなくなっている。
50cmほどの隙間に 三脚を立てて座り 傘を差して4時間 暑さに耐えて
ビデオで撮影して 抜き出したものです。
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他にナイアガラが とてもきれいで ズームに合わせて撮ったつもりが、
録画ボタンを押していなかった。 一番撮りたかったのに、悔しくて
情けなくて 涙が出そうになった。 どうしてこうなのかな~。
来年は どうなることやら。

2018年7月17日 (火)

夏の涼 風鈴

 2018年7月16日



 暑い日が続く今日この頃、西新井大師の境内で風鈴市が開催されている。浴衣姿で出かけてみた。
風鈴には苦い思い出がある。1昨年に川崎大師の風鈴市に行き、川崎大師祈願済みの だるま風鈴をお守り代わりに買った。帰宅して取り付けるとき、あと一結びするとき落としてしまい、眺めることなく 粉々になってしまった。今回は失敗しない。

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暑い日差しの中、涼やかな音色があちこちから聞こえてきて「来てよかった」と思った。


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暑さの精か人出はまばら。


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南部風鈴を買い、部屋に吊るしてエアコンと扇風機をかけ、その風でチリンチリンと涼やかな音色を奏でている。なんとも気分がいい。

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