2018年7月17日 (火)

夏の涼 風鈴

 2018年7月16日



 暑い日が続く今日この頃、西新井大師の境内で風鈴市が開催されている。浴衣姿で出かけてみた。
風鈴には苦い思い出がある。1昨年に川崎大師の風鈴市に行き、川崎大師祈願済みの だるま風鈴をお守り代わりに買った。帰宅して取り付けるとき、あと一結びするとき落としてしまい、眺めることなく 粉々になってしまった。今回は失敗しない。

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暑い日差しの中、涼やかな音色があちこちから聞こえてきて「来てよかった」と思った。


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暑さの精か人出はまばら。


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南部風鈴を買い、部屋に吊るしてエアコンと扇風機をかけ、その風でチリンチリンと涼やかな音色を奏でている。なんとも気分がいい。

2018年7月15日 (日)

生前整理が進まない。

2018年7月15日 



ブログを中断してからずいぶん月日が経ってしまった。

今 考えると妹の病気で私自身の心境に大きな変化があったためと思う。
妹とは生活や健康について 常に確認や連絡をとりあっている。ある日、妹から血尿が多量にあったと聞いたときは めまいを覚えるほどびっくりした。痛みはないというと頭をよぎるのは 「ガン」妹は病院へ 私はケイタイを手から離さず連絡を待っている。診察を受けた結果は、「膀胱には異常はないが、腎臓に異常がみられるが MRI検査を行って確定する。おそらく左腎臓の手術をすることになる」 と言ったとのこと。二人でガンと決めてしまい、私は妹が先に死ぬとは考えたこともなく、私が入院した時はお願いね とか死んだら後整理をお願いとか身勝手なことを言っていただけに、体は震え 何も手に着かずウロウロしていた。

両親が 胃がんで亡くなったので、妹も私も 胃カメラを毎年撮って安心していた。それから妹は 胸の痛みや息苦しさを訴えるようになり、下痢も続いた。鬱状態になっていると思い 気晴らしに外食に誘ったりしたけど、あまり効果はなかった。発症から MRIの結果が出るまで1ヶ月近くかかりその結果は 「ガンではない」 でも出血の原因は 分からないので様子をみるという。
それから数日後 「胸の痛みは?」と聞くとないというし、下痢もないという。多少の不安を残しながらも 現在も安定している。
人を 頼ってはいけないということを イヤでも思い知った騒動だった。
それから 生前整理が始まったのです。身の回りを 小さくすること。先ずは アルバムの整理 昔から旅行で撮り貯めた 写真のアルバムが棚にずらりとあるのを 何とかしなくてはと、取り出して 主な写真をスキャンで パソコンに取り込んだ。棚は粗大ごみに出して という風に進めている。
10年近く 開けていない着物たんすには 嫁に着つけて一緒に初詣をした着物が 入っている。外国で暮らす嫁に 「私が死んだら捨てられるので思い出に持ってて」と送った。 その時、区の広報に 昔の着物を着ましょうと、着付け教室が 期間限定で募集していたので 応募し 何回か通ったら、あやふやだった帯結びを  思い出したので時々着ている。すると 帯や小物を買っているから あまり物が減っていない。難しいですね。

2017年6月25日 (日)

大正琴コンサート

6月23日

 綾瀬福祉園でのボランティア仲間の友人が大正琴を長く続けている。
月1回程度で施設、老人ホーム、娯楽施設など依頼を受けてボランティアで
訪問し、演奏している。今日は綾瀬福祉園でのコンサートは初めてとのこと。
私も、撮影許可をいただき撮影するが、施設利用者は、知的障害者のため
一定の場所に留まることができない。利用者がカメラに入った場合
削除しなければならないことが条件で許された。撮影場所も所定の位置から
動くことができない。コンサート中泣き声や奇声などが入交り、
撮影も何度もカメラを伏せるなど緊張の連続だったが、削除することなく
撮れたことにホッとしている。
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大正琴 琴生会エバグリーンの皆さん
前列中央が師範。前列右側が友人。
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控室で打ち合わせ中。
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リクエスト曲童謡を演奏する。
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奥に司会者。
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歌い手さんに誘導されて利用者の皆さんも歌い
楽しいひとときを過ごす。
エバグリーンとは、いつまでも若々しくとの意味で普段の練習に
励んでいるという。10年以上のベテランばかりで、演奏も一つの
音色にまとまり、とても幸せな気分になれるひとときだった。

2017年4月 3日 (月)

横須賀散歩と軍港めぐり

4月2日

私の尊敬する恩師(恩人)の一人、H氏を訪ねて横須賀に行く。
15.6年ぶりにお会いして、信じられないほどの感動だった。
H氏に出会わなかったら私の人生も変わっていたかも知れないと常々思っていたから・・・。
H氏は、M市にある病院の総婦長(看護部長)で看護師、学生、介護福祉士、介護士の
300人ほどをまとめるトップの人だった。私はまだ経験も浅い無資格の介護助手で
見よう見真似で働いていた。それまでの私は、友人が経営するブティックの現場
(裁断と縫製指導)を担当していたが、バブル期に倒産してから、意を決して職業を
替えて、努力はすれども無資格は大変心細く悩む日が続いていた。
駅から病院までの送迎バスの中で隣り合わせになることが多く、相談もするようになった。
「資格取得に挑戦しなさい」とアドバイスされ、病棟看護師長にも協力するようにと。
私も努力して介護福祉士、ケアマネージャーと資格を取得できた。看護部長も師長も
大変喜んでくれていたが、その後定年退職されたので、それ以来の再会となった。
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H氏の案内で市内散策。
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どぶ板通り。
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どぶ板商店街。
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三笠公園を散策。
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記念艦「みかさ」を見学。みかさは日露戦争で活躍した代表的な軍艦で、
大正15年よりここに保存されている。
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「みかさ」の由来の説明。
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東郷平八郎像。
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軍港めぐり。
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乗船を待つ観光客。
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案内アナウンサー。
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操縦士。
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乗り込む乗客。
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「174きりしま」ミサイル護衛艦。と「6102あすか」試験艦。
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「5106しょうなん」海洋観測艦。
「5104わかさ」海洋観測艦。
「5105にちなん」海洋観測艦。
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「303はちじょう」掃海艦。
「606はつしま」掃海艦。
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「153ゆうぎり」護衛艦。
「171はたかぜ」ミサイル護衛艦。
「423ときわ」補給艦。
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住友造船所。
アナウンサーの案内に右に左に移動が忙しくもう少しゆっくり
見たい未練の残る軍港めぐりだった。

2017年3月28日 (火)

読書・90歳 何がめでたい

  3月27日
 先日、NHKの夜のニュースでこの本がよく売れていると
内容も兼ねて紹介していた。書店で見かけてはいたが、
買おうとは思わなかったけれども楽しそうなので買ってみた。
佐藤愛子のエッセイは有名だけれども、初めて読むことになった。
笑いながら本を読むのは過去にあったかしら?と思うほど
楽しくあっと言う間に読んでしまった。

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自分で考えているようなことを、佐藤愛子が代弁してくれている
ような気持になる。ちょっとさわりを述べてみると、このような具合
になっている。
「若者は、夢と未来に向かって前進する。
老人の前進は死に向かう。私の夢はぽっくり死ぬことである。
私の夢はとうとうここまで来てしまった」など。
佐藤愛子も有名だけれども、兄のサトウハチロウ(母親違い)も
詩人として歌などを残している。
佐藤愛子は今年93歳になるといいまだまだ頑張るそうで
元気になれる本を読んだ気になった。

2017年3月24日 (金)

水引工芸を体験

3月24日

 正月飾りや冠婚葬祭の金一封の封筒を飾る水引に
いつも見とれていて一度は体験してみたかった。
学習センターでの講座に参加し、水引工芸の初体験をする。
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講師は、日本水引工芸創作スタジオの田中麗水先生。
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教室は10人ほど。
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基本のあわじ結びで壁掛けに挑戦している。
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うまくできなかったけれどもやはり楽しい体験ができた。

2017年3月23日 (木)

福祉園のバザー

3月22日

 ボランティアで参加している福祉園のバザーが
今日から3日間開かれる。作品つくりに少し手伝っているため
行ってみた。綾瀬駅の近くの福祉会館で開催されている。
初めての開催とのことで少し寂しいかな。
福祉園の利用者は展示品を見ながら笑顔が多かった。
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保育園と共同開催で行われている。
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展示品の販売も行われている。
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紙類は牛乳パックを溶かして紙すき機で作り
用途に向けて仕上げていく。
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小物入れやバックなどは、糸や毛糸を織物機で布に仕上げて
形に作られている。
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展示品の数々。
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紙粘土作品(牛乳パックから)
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この福祉園は、障害者(知的、視力)の通所作業所と
なっている。私は織物作業を横に見ながら小物作品の
仕上げに協力している。陳列品に見覚えのあるものを
見ると、ほほえましくなる。記念にあれこれと購入した。

2017年3月18日 (土)

読書・木戸幸一日記

3月18日

先に読んだ東京裁判(極東国際軍事裁判)は、木戸幸一の日記を証拠に裁判が進められたとあり、日記が気になっていた。木戸幸一は最後の内大臣でありその印象としては、戦争中 木戸が重臣たちを陛下への拝謁を阻止したとか、内大臣が陛下を動かしているとか、東條英機を推薦したとかで悪い印象を持っていたけれども、読んでみると全く違っていた。こんな事あんな事と時代の流れを知ることができた。

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木戸幸一日記は重要文書として図書館の倉庫に保管されていて持ち出しができないため、毎日通って読んだ。原本は昭和5年から昭和20年までの記録を毛筆で書かれているものを上、下巻にまとめている。カタカナをひらがなに替えただけの全文を記載している。「せざるべからざることなりと思う故」などの意味をしばし考えたり、メモを取りながら読むとずいぶん日にちがかかったけれども、一番気になるところは開戦の頃と終戦の頃のことがわかり、東條を推薦したときの心境や、終戦には必死の思いで軍部の各大臣を説得する様子がわかった。

御前会議の様子は一人一人の言葉を芝居の台本のように、こと細やかに記録している。強烈な印象は木戸が終戦工作をしているとき、8月13日阿南陸軍大臣が内大臣室を訪問したときのやりとりに 木戸が和平に向けた話を切り出すと、阿南は「本土決戦をするつもりだ」と木戸の意見に応じなかったので、木戸は「もし敵に上陸されて三種の神器を取られ、伊勢神宮が荒らされ歴代朝廷の御物がボストン博物館に陳列されたらどうするつもりか」と迫ると阿南は沈黙し「あなたの考えには大体賛成だ」と言って出た。そして8月15日阿南は自決した。

木戸幸一は、維新の三傑木戸孝允(桂小五郎)の孫にあたる。父(孝正)は東宮侍従長だった。木戸と近衛文麿の関係は学習院時代からの友人で共に京大に進みゴルフ仲間でもあったし、近衛の推薦で牧野伸顕内大臣の秘書官長、宮内省宗秩寮総裁を兼任するが、近衛内閣のとき文部、厚生大臣を歴任している。昭和15年西園寺公望、牧野の推薦で内大臣を終戦まで続け最後の内大臣となる。

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木戸は学生時代から日記を書いていた。

昭和5年から20年までの木戸幸一日記の原本。

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毛筆で書かれている。

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東京裁判期は、昭和20年12月A級戦犯容疑で巣鴨に収監されてから、東京裁判終了までの日記を記録し、スガモプリズンの様子や裁判の進行状況を記録している。木戸幸一日記を提供した動機は天皇陛下を裁判に出廷させないことにあり、平和主義者を証明するためでもあったが、終戦の後証拠書類は焼却されていたため、木戸幸一日記が唯一の証拠になり軍部から恨まれていた。

30回に及ぶ取り調べが行われ、日記をもとに詳しく聞かれている。法廷で前満洲皇帝溥儀が証人台に立ち、溥儀に対する尋問で「平気で虚言を吐く態度は近年にない不愉快であった」と書いている。各被告の起訴状証拠提出に木戸の日記がたくさん出されている。

昭和23年4月に審理が終わり休廷 判決を待つのみとなり、その間の不安の様子がわかる。新約聖書や仏典などを何度も読んだり、トランプで勝負ごとをしたりラジオが毎日聞けるようになり音楽、ニュースを聞くことがうれしいなど。11月12日判決が言い渡たされ、死刑7名、木戸を含め16名が終身禁固刑、東郷20年、重光8年となる。木戸は「すべての戦いは終わった 気持ちが朗らかになった」。12月23日に死刑が執行された。わざとなのか この日は皇太子(現天皇陛下)の誕生日であった。

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スガモプリズンで書かれた日記大学ノートにペン書き。

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便箋で鉛筆書きになる。

木戸幸一は10年後体調不良で仮釈放になり、大磯で暮らし昭和52年88歳で生涯を閉じた。その間天皇陛下が葉山に静養されるときは時々御用邸に訪問されていたという。

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昨日スガモプリズンの跡地に行ってみた今は東池袋中央公園となっている。

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左の方に慰霊碑が見える。

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何人かの写真と花が手向けられている。

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右の方にはサンシャイン60ビル(1978年竣工)1985年まで東洋一の高さを誇っていた。周辺のサンシャインシティ、サンシャイン通りなどは若い人でごった返し拘置所跡とは思えないほどであった。

2017年2月20日 (月)

牛天神紅梅まつり

2月19日

牛天神で紅梅まつりが行われていた。
牛天神北野神社は春日通りから少し入ったところに、1184年
源頼朝の夢のお告げに、牛に乗った菅原道真が現れ、その
ご神託により牛を守護神として頼朝によって創建された。
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北野神社鳥居
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牛天神こと、北野神社は菅原道真公が祀られている
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ねがい牛 撫でると願いが叶うと言われている
NHk土曜ドラマ忠臣蔵の恋~四十八人目の忠臣の
ヒロイン「きよ」がこのねがい牛をさすりひたすら
願をかける様子があった
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左右の牛
かって牛天神下には堀部安兵衛が通った「堀内道場」があった
きよの思い人 磯貝十郎左衛門もその道場で剣術を磨いていた
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頼朝がこの石に腰を下ろして夢を見たとあった
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女性の宮司の挨拶と二人の子息を紹介
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神社の庭には紅梅が多かった
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野点が行われてお茶とお菓子がふるまわれた
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勇壮な奉納太鼓が行われて
湯島天神白梅太鼓のみなさん
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若い女性とは思えないほど迫力のある力強い太鼓
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男性一人だったが凄い迫力
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終わって挨拶するメンバー、男性一人女性四人
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御朱印をいただく列が長々と続いている
甘酒を頂きながら隣の夫人が、毎月お詣りしている
けど、こんなに多くの人の列は初めてと言っていた
私は御朱印は頂かずに帰った。

2017年1月27日 (金)

ボランティアに参加する

1月26日
最近はずっと図書館に入り浸っていると、会話がなくなってしまった。26日はボランティアで障害者福祉施設に行く日で、初めてなのでちょっとドキドキしながら待ってると、もう一人来られたので気持ちが楽になり話してみると、その方も初めてという。手芸品の仕上げを手伝う簡単な仕事だった。
その後、レストランで食事をしながら2時間ぐらいお話しをしてすっかり意気投合し、何よりも何日ぶりでこんなに話ができたかと思うだけでも楽しかった。この方は、ご主人と紳士服の仕立てを40年も続けていたけど、亡くなられてボランティアを考えたというプロの方だった。
図書館の本も、借りて帰ることができない本は通って読むことになり、ボランティア以外の日を毎日図書館に行っている。区の中央図書館には、読みたい本が揃っていて楽しいけど誰とも話さず一日中読書もどうかなと思いながらも止められない。もう少しコントロールできるといいなと思う。

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